おらおらでひとりいぐも

最近映画が好きだ。

先ほど「ライフイズビューティフル」を観ていて、これはフランクルの影響が多大だなと思ったばかり。

 

ほんの少し前までは原作に勝てるわけがないと思っていたけれど、この頃は小説さえほとんど読まなくなってしまった。

それはなぜか、面白くないから。

それでももちろん読み手である私はすごいすごい物語をいつでも待っている。

感激する準備はできておるわけなんです。

 

で、珍しく、旬な小説を読んでみました。

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

 

作家さんには楽しませてもらうのだから、きちんと印税が届くようにと思ってはいるのだが、財布からお金を出し小説をハードカバーで購入したのはいつ以来のことだろう。

記憶が定かではない(恥)

 

本の内容はそちらこちらで説明があると思うので、割愛させていただくとして、本を開き読み始めてすぐに驚いた。

なんだこれは、東北弁の嵐じゃないか。

こんなの一般の人がわかるんだろうか。

 

私たちが子供の頃は、とにかく東北弁とは恥ずかしいものであった。

ズーズー弁と言われ随分バカにもされたものだ。

関西弁はあんなに訛っていても認知されているのに、なぜ東北弁は笑われるか。

 

小学生の頃、自分のことを一人称でなんて呼ぶのか話す機会があった。

「私、かなぁ」

「あたしは、あたしだね」

そこへひとりやってきた子。

「おら、私って言う」

そんな話を思い出した。

 

こんなに東北弁を読んだのは、浅田次郎壬生義士伝以来か。

あれを読んだときはボックスティッシュが一つなくなり、流れる鼻水に栓をしながら読んだものだ。

おらおら....にもよく出てくるが「おもさげね」この申し訳ないと言う言葉は内陸の言葉であり、沿岸では使わない。

 

生活の描写も笑う。

家の中の壁にロープを張り、そこに洋服やらシャケやら干し柿やらなんでも吊るしてしまう。

東北人の暮らしが見えるようだ。

 

この物語を一言で言うなら、それは「ババァのダダ漏れ」だ。

誰もが隠し持つこの思いを、このおばさんもしくはおばぁさんは日本に(世界にか)放ってしまった。

小説とはそう言うものであるが、もう取り返しはつかない(笑)

 

面白かったかと問われれば、うむ、読んで良かったと応える。

普通の人生、誰もの人生を特別な人間じゃない主婦である著者が明らかにしてくれた。

 

「おらはおらでひとりで行くもの」と言えば多くの人がわかるかもしれない。

このタイトルのままではまるで呪文だ。

シラブルをつければ外国語にも聞こえるかな(笑)

そして著者にはもちろんお礼を言いたい。

東北弁をこんなに有名にしてくれたのだから。