無 I II III

またシンプルなだけに面倒臭そうなタイトルの本ですが。

 

無〈1〉神の革命

無〈1〉神の革命

 
無〈2〉無の哲学

無〈2〉無の哲学

 
無〈3〉自然農法

無〈3〉自然農法

 

 

福岡正信さんは自然農法の提唱者。

無農薬リンゴの木村さんに多大な影響を与えた方で、耕さない、農薬を使わない、肥料を使わない、雑草を抜かないという何もしない農法を目指した方。

この分厚い三冊には彼の思想が記されている。

 

順序が逆になるが「無III 自然農法」では文字通り、自然農法とはどのようなものか、それを実践するために米、果樹、野菜など栽培の仕方が事細かに書かれてある。

「無II 無の哲学」は福岡さんの思想が、偉人たちとの比較対象とともに(笑)どっさりまとめられているが、特に西洋哲学の哲学者との対比を図の解説とともに丁寧に述べられてある。

この無IIは現状では全然理解が及ばないので、再読するために保留。

 

で「無I 神の革命」

ここに分別知について書かれた部分があったので、備忘として引用させていただく。

 

矛盾は矛盾を解決することによって解決されるのではない。矛盾を生じた根本原因が、人間の分別知に出発していることを知れば、矛盾の解決は、矛盾の分散拡大にしかならないことがわかるだろう。何一つわからないのは、人間が分別の眼鏡をかけてあらゆるものを分裂せしめ、細分化し粉砕してしまったからである。

 

分け得ないものを分け、分けてはならないもの分けようとするからである。分けても意味がないというより、分けることによって本質が失われ、自然の姿は消えてしまう。

 

中略

 

人間は、形質、内外、遠近、多少、上下など何一つ区別してはならないものを、あえて区別して知ろうとしたために、本体が空中分解してしまって、永遠に救いようのない混乱の道にはいりこんでしまったのである。

人間の”知る”はどこまでも局部的で断片的なものにとどまって、全体的なものにつながっていない。そのため”知る”はその局部的な”知った”立場だけにしか通用しないで、いつも全体的視野からの判断(実相・完全智)とはくい違うことになる。

そのため人間の知、知恵、判断の集積は、いつも完全なものへの接近にはならないで、錯誤の連続に終わるわけである。

科学的真理の積み重ねが絶対真理への道造りにならないで、錯誤の真理の足跡にしか過ぎないのはそのためである。

 

一百姓を貫き通した福岡さんの思想をほんのちょっと、本当にちょっとだけお借りした。

忘れないために記録させていただく。