さとしわかるか

先にご紹介した、東大の全盲ろうの教授福島智氏の母の手記を読んでみる。

福島氏は3歳で右目、9歳で左目を失明、14歳で右耳、18歳で左耳の聴力を失っている。

 

さとしわかるか

さとしわかるか

 

 

この本をすぐにkindle版にした朝日新聞出版は素晴らしいと思う。

絶版など手に入りにくい良書はやはりこの方法がベストだ。

 

3歳から入退院を繰り返してきた息子を懸命に支える母。

何十年もたくさんのメモや日記を残してきた母、福島令子さんの日記にはこう書かれている。

 

目をうばわれ、音もうばわれ、この上何をうばおうと言うのか。

神はあるのか。

 

ご本人は割と順応していったと話しておられるが、目を一つずつ、耳を一つずつ奪われていく息子を見つめる母は、

絶望

絶望

絶望

絶望

の繰り返しであったことだろう。

これは病気の子を持つ母でなければ決してわからないことだ。

 

見ることもできず、聞くこともできず、様々なことを諦めてきた智がある日ぽつりと言う。

 

日本の偉い作家は自殺した人が多いな 

 

と。

僕がそんなことをするかとすぐに否定はしたものの、母はその言葉が気がかりとなるが、智は多くの葛藤の末、一つの結論へと導かれていく。

 

本当の神があるのなら、苦しめてばかりもいない。

僕をこのようにしたからには、何か大きな意味があって、

僕に何かを託しておられるのではないかと思えてならない。

 

智は自殺を生きたかったのに生きられなかった人々への冒瀆と考えていた。

二人は何度も地獄の底を味わいながら必死で生きるための道を模索していく。

 

この後、令子さんは点字ライターを指に置き換え、指点字と言うものを考案し、息子を救うことになる。

 

息子の指に自分の指を重ね「さとしわかるか」と点字を打った母に、即「わかるで」と答えた息子との場面は、母自らがヘレンケラーとサリヴァン先生の「ウォーター」に匹敵するものであったと書いてあるが、まさにその通りだったのだと思う。

 

東大の博士論文で福島氏が自身を研究したことが話題となり、先日のテレビでご本人が実際に話されていたことだが、今までは健常者が障がい者を研究することが多かったが、障がい者障がい者の研究をするべきなのだと語っていた。

ふと思う。

これは全てに当てはまることかもしれない。

当事者が自身の研究をすることは至極必要なことだ。

生徒は生徒の、患者は患者の研究をすべきなのである。

(ちょっと飛躍しすぎましたかね。でも大事よね)

 

息子と母親の本を読んでみたわけだが、それぞれの視点は違うものの、実は母親の手記の方が面白かった旨はここでちょっといっておきたい。

まぁでも、どちらか1冊と問われれば、もちろん息子の本を推すつもりはあるけれど。