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薬指の標本

誤解を恐れずに言うならば、私が思うに頭のいい人間は字が上手くない。

というより、汚い。

もう少し丁寧に言ってみると、ま、多いような気がする。

 

頭がいいことを自覚している私の友人は、思考に字がついてこないのよと説明していた。

そしてものすごく頭が良くなるとやはり文章にも難があるような気がする。

たぶん本人しか理解できないのだろう。

当然この私も至る所に難を持ち続けているのだが、その難をかいくぐりたどり着いてしまう、そんな本もまたある。

 

薬指の標本 小川洋子

薬指の先をわずかに欠損してしまった「わたし」が新たに勤めることになった職場は「標本室」

そこへたどりついた人間たちの依頼により、そのものたちは標本となる。

実験のためにも研究のためにも使われることのない標本たち。

標本となることによって心が「もの」や「こと」との決別を迎える。

 

箱とは奇妙なものでそこには納まりがある。

身体もこころもまた箱のようなものなのかもしれない。

蓋を開けてみるまでは何がそこに漂うのかはわからない。

 

物語の性質上、この終わり方は上品である。

ここより主人公が向かった先の内部にまで触れてしまうとホラーになってしまうかもしれないし、幻想的でこれがいいラストなんだと納得はしてみるものの、だからこそ余計に後を引く。

そっと耳元でこれが小説ってものの終わり方なんだよとささやかれても、あぁどうしてもその先へと気持ちがむかってしまう、そんな作家さんなのかもしれない。

小川洋子というひとは。

静謐な文体で、じんわりと得体の知れない影を落とす。

何も求めない、何も解決しない。

 

誤解を恐れずに言うならば、私が思うに頭のいい人間は字が上手くない。

ほれぼれするような美しい字を書くひとに、あれ?と思うヒトはいる。

たまに、いる。

薬指の標本 (新潮文庫)

薬指の標本 (新潮文庫)