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老子

随分久しぶりに『老子』を読んだ。

若い時分は宗教色の強い荘子の哲学の方を好んだのだが、青い牛にまたがりどこへともなく静かに消えていく老子が年とともに気になりだす。

道徳を超えた老荘は心地よい空気をもたらす。

老子の形而上では「徳」は「道」よりも下位。

時に善人や正義漢などから気が違うと思われがちだが、さぁどっちの気が違うのか。

 

【学ぶことをすてよ、(そうすれば)思いわずらうことはなかろう。

はい(唯)というのとああ(阿)というのとが、どれほどのちがいがあろう。

善と悪のちがいだって、どれくらいのものであろうか。

「他人の畏れ避けることは、私も避けなければならない」というが、何と(真理から)遠いことよ、(それでは)どこまでもきりがないだろう。

多くの人は楽しそうに笑い、お祭りの太牢(いけにえ)のごちそうを食べ、春の日に高い台から見はらしているようだ。

私はひとり身じろぎひとつせず、何の兆しも見せないでいる。

まだ笑ったことのない赤子のようだ。

ふわふわとぶらさがり、どこにもくっついていないかのようだ。

すべての人はあり余るほどもっているのに、私ひとりは何もかも失ってしまったようだ。

私の心はまったく愚かものの心なのだ。

それほど(私は)なまくらなのだ。

世のなかの人びとは光り輝く(かしこい)人ばかりなのに、私ひとりは暗い(無知)のだ。

人びとは活発ですばしこいのに、私ひとりは心がもやもやしている。

大海のように動揺し、疾風に吹きまくられて、とどまれずにいるみたいだ。

多くの人は何かとりえがあるのに、私ひとりは扱いにくいいなかもののようだ。

(だが)私には他人とちがっているところがある。

それは「母」(なる「道」)の乳房に養われ、それをとうといとすることである。】

 

中央バックス 世界の名著 4 老子荘子

責任編集 小川環樹

老子 下篇 第二十章より引用いたしました。