臨済録

先日火傷をいたしまして、現在は絶賛水膨れ中ですが、大丈夫でございます。

傷(でいいのかな)を眺めながらいろんな形や色に変わっていくんだなぁと思いまして、はい。

人間の身体って面白いもんでございます。

 

臨済宗の開祖、臨済の言行をまとめたものに「臨済録」がございますが、禅の中でも魂を鷲掴みにされると言う表現がまさにぴったりな書物なんです、これが。

人間死ぬ前に一度読んでおくのが良いとは思いますが、本来死のためにあるものではなく、いかに生きるかにかかってくるものでございますので、ピンピンしている状態で読んでみるのがやはり賢明ではありましょう。

 

臨済録 (岩波文庫)

臨済録 (岩波文庫)

 

 

入矢義高氏の訳が素晴らしい岩波文庫版、この先生のお弟子さんの臨済録もあると小耳に挟んだのでこちらも読んでみました。

 

小川隆氏の「臨済録」です。 

『臨済録』―禅の語録のことばと思想 (書物誕生―あたらしい古典入門)

『臨済録』―禅の語録のことばと思想 (書物誕生―あたらしい古典入門)

 

 

まず、問答や公案を中国禅から集めたものの説明がありまして、作品の紹介として「臨済録」が訳されております。

先日テレビで拝見したところ、こちらの小川先生が禅僧方にお寺で講義しておられました。

確かに中国語専門の仏教学者ではありますが、お坊さんが聞く側ねぇ。

入矢訳より、より丁寧な説明で補足もあり楽しめますが、この書物に初めて触れる方は岩波文庫版からをおすすめいたします。

これを読んで今ままで自分は何をやっていたんだろうと気付かれても、責任は取れません。

そして何も感じなくても問題はありません。

 

中国禅についてもっと知りたい方はこちらも紹介しておきます。

増補 自己と超越――禅・人・ことば (岩波現代文庫)

増補 自己と超越――禅・人・ことば (岩波現代文庫)

 
増補 求道と悦楽――中国の禅と詩 (岩波現代文庫)

増補 求道と悦楽――中国の禅と詩 (岩波現代文庫)

 

 

動的平衡

常々、人間は左手も右手も使えるようにしておいた方が良いと思って生きてきた私だが、訓練を積む絶好のチャンスが巡ってきた。

利き手を火傷したのである。

 

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面白いので載せてみるが、写真がでか過ぎた。

ほんのちょっとしたタイミングのズレから熱湯をかぶってしまい恐ろしい状態になりそうだったが、すぐに流水と氷水で冷やし、食用オイルを塗ってサラ◯ラップでぐるぐる巻きにし、お盆中たったの1件だけ開いていた病院へ駆け込み私の白魚のような指はことなきを得た。

しかし、火傷というものは軽傷でもすごく痛い。

ただ私の場合ここでは書けないような痛みも経験しているので、今回痛み止めは飲まずに済ませた。

よくそちらこちらに肘とか膝をぶつけたり棘を刺したりと怪我が多いのだが、これは全部老化の仕業らしい。

加えて運動能力も悪く、いつもどこか故障している。

鉄瓶や薪ストーブを平気で使っているが気をつけねばとしみじみ思う。

 

最近「動的平衡」というものに少し興味を覚える。

生物は皆分子で構成されているが、食べ物によって人間も1年ほどで全く違う分子で構築される。

生命は細胞を作ることと壊すことで平衡を保っているのだ。

分解と合成。

それこそが生命。

このバランスが崩れ出すといろいろなことが起こるのだが、回復と可塑性をも含む。

これまた生命と福岡伸一氏は言う。

 

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

 

科学的エッセイになっていて楽しく読めるが、特に動的平衡を掘り下げた記述はない。

気になった部分はコラーゲンの箇所。

名前を聞けば誰でも知っている高級化粧品を実際使用したことがあるのだが、浸透性にやはり疑問は感じていた。

 

吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。むしろほとんどコラーゲンにはならないと言ってよい。

 

巷間には「コラーゲン配合」の化粧品まで氾濫しているが、コラーゲンが皮膚から吸収されることはありえない。分子生物学者の私としては「コラーゲン配合」と言われても「だから、どうしたの?」としか応えようがない。

もし、コラーゲン配合の化粧品で肌がツルツルになるなら、それはコラーゲンの働きによるものではなく、単に肌の皺をヒアウロン酸や尿素グリセリンなどの保湿剤(ヌルヌル成分)で埋めたということである。

 

ですってよ、奥様(笑)

 

 

こちらはカズオ イシグロ、玄侑宗久、ジャレド ダイアモンド、隈研吾、さん等との対談集。

特に気になった部分はなし。

 

さて、左手使用で頭が良くなったかというと、初日はそれなりに楽しめたが2日目からは、イライラし始め・・・キーボードはなんとかなるけど、歯磨きは難しいわね。

それとトイレが・・・・・

無 I II III

またシンプルなだけに面倒臭そうなタイトルの本ですが。

 

無〈1〉神の革命

無〈1〉神の革命

 
無〈2〉無の哲学

無〈2〉無の哲学

 
無〈3〉自然農法

無〈3〉自然農法

 

 

福岡正信さんは自然農法の提唱者。

無農薬リンゴの木村さんに多大な影響を与えた方で、耕さない、農薬を使わない、肥料を使わない、雑草を抜かないという何もしない農法を目指した方。

この分厚い三冊には彼の思想が記されている。

 

順序が逆になるが「無III 自然農法」では文字通り、自然農法とはどのようなものか、それを実践するために米、果樹、野菜など栽培の仕方が事細かに書かれてある。

「無II 無の哲学」は福岡さんの思想が、偉人たちとの比較対象とともに(笑)どっさりまとめられているが、特に西洋哲学の哲学者との対比を図の解説とともに丁寧に述べられてある。

この無IIは現状では全然理解が及ばないので、再読するために保留。

 

で「無I 神の革命」

ここに分別知について書かれた部分があったので、備忘として引用させていただく。

 

矛盾は矛盾を解決することによって解決されるのではない。矛盾を生じた根本原因が、人間の分別知に出発していることを知れば、矛盾の解決は、矛盾の分散拡大にしかならないことがわかるだろう。何一つわからないのは、人間が分別の眼鏡をかけてあらゆるものを分裂せしめ、細分化し粉砕してしまったからである。

 

分け得ないものを分け、分けてはならないもの分けようとするからである。分けても意味がないというより、分けることによって本質が失われ、自然の姿は消えてしまう。

 

中略

 

人間は、形質、内外、遠近、多少、上下など何一つ区別してはならないものを、あえて区別して知ろうとしたために、本体が空中分解してしまって、永遠に救いようのない混乱の道にはいりこんでしまったのである。

人間の”知る”はどこまでも局部的で断片的なものにとどまって、全体的なものにつながっていない。そのため”知る”はその局部的な”知った”立場だけにしか通用しないで、いつも全体的視野からの判断(実相・完全智)とはくい違うことになる。

そのため人間の知、知恵、判断の集積は、いつも完全なものへの接近にはならないで、錯誤の連続に終わるわけである。

科学的真理の積み重ねが絶対真理への道造りにならないで、錯誤の真理の足跡にしか過ぎないのはそのためである。

 

一百姓を貫き通した福岡さんの思想をほんのちょっと、本当にちょっとだけお借りした。

忘れないために記録させていただく。